2009.10.20[火] with a littel respect for...

Canon EOS 30D with EF 50mm F1.4 USM
写真に対して時々、グサっと刺さる言葉を言われる。
「やっぱり、いいカメラで撮るとちがうね~」
とか。
これって言い換えれば
「カメラがよければ、いい写真撮れるんだね」っていう意味なのかなとか。
もっと言えば、
「カメラさえよければ、誰でもいい写真は撮れるんだね」
って意味すら含んでる気がする。たとえこれが、言った本人の本心でないにしても。たとえ、本人にその意識がないにしても。ただ単に言葉足らずなだけであったとしても。
これって、こういう言葉って、いつでも私を一瞬にして殴り倒してしまう。私の努力とか感性とか、そういう「私自身」っていうのを一瞬にして無にしてしまう。私の写真は「カメラさえよければ誰でも撮れる、その程度の代物だと、この人に思われてるんだな」って。気持ちが萎えてしまう。
私はそういう風に取ってしまう。私が偏屈なのかな? でも、なかには私みたいな人も必ずいると思う、もちろん皆がみんな、そうではないとは思うけれど。この写真は、私の写真は、「カメラが」撮ったのではなくて、「私が」撮ったのだと。もちろんカメラのおかげもあるが、やっぱりカメラを褒められるより写真を褒められたいし、努力や感性を見て欲しいってのが本心(あまりこういう本心を言うのは私らしくは無いのだけれど)。だから私はどんなエリアのことでもできる限りこういうような発言はしないように心がけている。少なくても褒めるときには注意を払う。
だって、素人から
「うまくなったね!」
とか言われたら、その道のプロ(プロに限らず、そういう意識がある人)はきっと、少なからずこういう気持ちになるんじゃないかな?こっちはほんとに感動して放った一言でも相手にそれが伝わらなければ、言葉にする意味が無いし言葉にするだけ逆効果になってしまう。
例えば私が、歌手(プロ、アマ問わず)に面と向かって
「うまく歌うようになりましたね」
とか言ったら、私のほうが「うまいよ」っていっているなもんだと思う。相手からは「お前何様なんだよ!」って思われるんじゃないかなぁ。そういう安易な褒め言葉は逆に暴力なんだと思う。
こういう場合、最低限の礼と節は守らないといけないんだよ、きっと。そうやって、尊敬して敬ってっていう気持ちがなければ、たとえ褒め言葉として使ったとしても相手を傷つけることもあるんじゃないかな。とくにお互いを知っている場合は。同じ「道」にいる仲間だったりしたらこういうのは感じないのだけれど。っというより、この場合はありがたく意見として頂戴できる。
でもやっぱり、私って偏屈なのかな。。。
【追記】
もちろん、いいカメラでいい写真が撮れないといっているわけではありません。だた、
it is unwise to consider that good pictures are taken with a good/expensive camera or these cameras can always produce excellent picturesってことです。コンデジだって、ケータイだって、古いカメラであったって、安いカメラであったって、いい写真を撮る人はいますし、私はそういう人を知っています。でもまぁ、いい写真って言うのは個人によって基準が違うので一概にそうだとは言えないものなんですよね。ここ一番重要です(笑)。
あ、写真はArkansas Riverの夕景です。秋の哀愁を出そうと試みた1枚ですね。
by くま
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Tag : EF_50mm_F1.4_USM
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